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東京地方裁判所八王子支部 平成3年(わ)399号 判決

主文

被告人を懲役一年四月に処する。

未決勾留日数中八〇日を右刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、購入客を装って試乗名下に自動車を騙取しようと企て、平成三年四月二二日午後三時一五分ころ、東京都西多摩郡〈住所略〉の株式会社ホンダクリオ新東京羽村店において、同店従業員Aに対し、真実は試乗した自動車を直ちに返還する意思がないのにこれあるように装い、井場良明と偽名を名乗った上、「試乗してもいいですか。」などと申し向け、右Aをして試乗後は直ちに返還を受けられるものと誤信させ、よって、そのころ、同所において、同人から、株式会社ホンダリース所有の普通乗用自動車一台(時価約三二〇万円相当)の交付を受けてこれを騙取したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(主位的訴因に対する判断)

一  本件の主位的訴因は、「被告人は、昭和六一年三月三日八王子簡易裁判所において窃盗罪により懲役八月に、同六二年一一月三〇日同裁判所において同罪により懲役一〇月に、平成二年二月八日東京地方裁判所八王子支部において窃盗及び傷害罪により懲役一年四月に各処せられ、いずれもそのころ右各刑の執行を受けたものであるが、更に常習として、平成三年四月二二日午後三時一五分ころ、東京都西多摩郡〈住所略〉株式会社ホンダクリオ新東京羽村店において、試乗を口実に、株式会社ホンダリース所有の普通乗用自動車一台(時価三二〇万円相当)を窃取した」というものである。

二  よって、検討するに、前掲各証拠及び保科勲の司法警察員に対する供述調書、検察官作成の電話聴取書、司法警察員作成の捜査報告書(平成三年四月二四日付け)及び犯罪経歴照会結果報告書、判決書謄本(同二年二月八日付け)によれば、左記の事実が認定できる。

1  被告人は、昭和六二年六月ころ、二四時間試乗会を催している東京都国立市内の株式会社ホンダクリオ新東京国立店に行き、同店営業員Bと商談後、ホンダレジェンド二七〇〇セダンの試乗を申し込んで約四時間試乗して同車を返還した。その一週間位後、被告人は、再度、同店に行って、今度はホンダレジェンドツードアハードトップの商談をして、その試乗車に乗ったが、被告人は、約定の二四時間を経過しても返還せずにこれを乗り回していたため、右Bらが捜し回った末、その回収ができずに警察署へ相談に赴いたが、同署係官からは、右Bが自動車運転免許証等によって試乗をした被告人の氏名等を確認しておらず、また、二四時間試乗会であったこと等からその試乗車の乗り逃げが詐欺罪、横領罪或いは窃盗罪のいずれかの判断がつかないため、直ちに犯人を逮捕することなどはできかねる旨説明があった。そのため、右Bらは、警察署へ被害届を提出することを諦めて、独自に右試乗車の捜索を続けていたところ、乗り逃げされてから約一週間後に被告人が右試乗車に乗って走行しているのに遭遇し、漸く被告人から右試乗車を取り戻すことができた。

2  被告人は、その外にも何か所かの自動車販売店で試乗車に乗っているが、それらの時は営業員が添乗していたため、試乗し終えた車両は直ちに回収されている。

なお、被告人は、平成元年五月二六日、現金払いで購入する旨嘘を言って自動車販売店の従業員に乗用車を持って来させ、その隙を見て同車を乗り逃げしたが、翌日には検挙され、これを窃盗罪で起訴されて有罪判決を受けている。

3  被告人は、新発売のホンダレジェンドに興味をもち、添乗員がいなければ試乗車を乗り逃げしようと考えて、平成三年四月二二日午後一時四五分ころ、本件被害者である株式会社ホンダクリオ新東京羽村店に電話をかけ、応対に出た営業員Aに対し、「井場という者です。レジェンドが欲しいので、お話ししたい。」「二時過ぎに伺います。」などと申し向けたうえ、同日午後二時一五分ころ同店に行って、右Aに対し、購入客を装って、「スーパーレジェンドとレジェンドクーペの説明をして下さい。」「その二台の見積もりはどの位になりますか。」「スーパーレジェンドの方にしよう。」などと申し向けて、その見積書に虚偽の自己の氏名、住所、電話番号を書き込んでおき、同日午後三時一五分ころ、Aに対し、「ちょっと試乗してみたい。」と申し向けた。同人は、真実被告人が購入目的で試乗をするものと誤信し、同店に置いてあった株式会社ホンダリース所有の試乗車に被告人を乗車させ、一人で試乗してくるよう勧めたことから、被告人は、乗り逃げする意図のもとにその試乗車を同店から発進させ、しばらく走行したところで同車のガソリンが少ないことを示す警告灯が点灯しているのに気づいて、ガソリンスタンドでガソリン三〇リットルを給油して乗り回し、更に翌日もガソリン三〇リットルを補給して右試乗車を乗り回していたが、同月二四日午前一〇時二〇分ころ、同都福生市内で、前記ホンダクリオ新東京羽村店整備係Cの乗った車と擦れ違ったことから、同人に止められた。そして、同人が、直ちに警察署に通報したため、被告人は、前記自動車盗の検挙歴があったこと等から、右試乗車の窃盗犯人として通常逮捕されるに至った。

なお、被告人が右試乗車を乗り回した距離は約一七五キロメートルになる。

三 検察官は、「いわゆる「試乗」は、自動車販売店である被害者が、サービスの一貫として、顧客になると予想される者に対し、当該車両の性能等を体験して貰うことを目的に行っているものであって、試乗時間は一〇分ないし二〇分程度を、その運転距離も試乗を開始した地点の周辺が予定されており、そのため試乗車には僅かなガソリンしか入れていないこと、試乗車にもナンバープレートが取り付けられており、仮に勝手に乗り回されても、直ちに発見される可能性が極めて高いことなどからすると、試乗に供された車輌については被害者の事実上の支配が強く及んでおり、被告人の試乗車の乗り逃げ行為によって初めて、被害者側の事実上の支配を排除して被告人が自己の支配を確立したと見るべきであり、窃盗罪が成立することは明らかである。」旨主張する。

確かに、試乗目的は、検察官の指摘するところにあって、被害者の試乗車に対する占有の意思に欠けるところはなく、かつ、前記二の2のように自動車販売店の営業員等が試乗車に添乗している場合には、試乗車に対する自動車販売店の事実上の支配も継続しており、試乗車が自動車販売店の占有下にあるといえるが、本件のように、添乗員を付けないで試乗希望者に単独試乗させた場合には、たとえ僅かなガソリンしか入れておかなくとも、被告人が本件でやったように、試乗者においてガソリンを補給することができ、ガソリンを補給すれば試乗予定区間を外れて長時間にわたり長距離を走行することが可能であり、また、ナンバープレートが取り付けられていても、自動車は移動性が高く、前記二1で認定のとおり、殊に大都市においては多数の車輌に紛れてその発見が容易でないことからすれば、もはや自動車販売店の試乗車に対する事実上の支配は失われたものとみるのが相当である。

そうすると、添乗員を付けなかった本件試乗車の被告人による乗り逃げは、被害者が被告人に試乗車の単独乗車をさせた時点で、同車に対する占有が被害者の意思により被告人に移転しているので、窃盗罪は成立せず、従って、主位的訴因ではなく予備的訴因によって詐欺罪の成立を認めたものである。

(累犯前科)

被告人は、

(1)  昭和六一年三月三日八王子簡易裁判所において窃盗罪により懲役八月に処せられ、同年一一月一一日右刑の執行を受け終わり、

(2)  その後犯した同罪により同六二年一一月三〇日同裁判所において懲役一〇月に処せられ、同六三年八月三〇日右刑の執行を受け終わり、

(3)  その後犯した窃盗、傷害罪により平成二年二月八日東京地方裁判所八王子支部において懲役一年四月に処せられ、同三年一月一八日右刑の執行を受け終わった

ものであり、右各事実は、検察事務官作成の前科調書並びに右(2)及び(3)の各判決書謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

一  罰条

刑法二四六条一項

一  累犯加重

刑法五九条、五六条一項、五七条

一  未決勾留日数の算入

刑法二一条

一  訴訟費用の不負担

刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(求刑 懲役二年六月)

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官林潔)

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